[ Shuhey's Works ]

〜 The Sneaky Devil's Home Page〜


I'arrivinaKingstoiJamaica.

ニューキングストン
2月21日(土)〜 競馬 〜
ジャマイカにも競馬がある。
場所はキングストンに近いポートモアという町。
で、岡田SV、小田原隊員(ポートモア在住)と共に競馬場へ。
日本でも友人に一回だけ連れて行ってもらったことがあるが、ジャマイカの競馬場も規模はともかく、ちゃんと競馬場だった。
ちなみに、3レースくらい賭けてみて、一回当たったが、結局マイナス。
まぁ、所詮、胴元のいるギャンブルでは儲からないのである。
2月7日(土)〜 活動報告会 〜
もうすぐ任期が終わる隊員として、他の隊員に向けてこれまでの活動報告をする会である。
なぜか、「発表はPC(パワーポント)でやるもの!」みたいな考えに囚われてるのか、前日になって慌てふためいてパワーポイントで作っていた。
が、しかし! こっちは敢えてPCを使わず、スケッチブックを使ってプレゼンを作って、一番会場を沸かしてやった。
2月1日(日)
シニアボランティアの工藤さんのPCが調子悪いということで、その修理。
原因はMSブラストというウィルスにやられているらしいということは症状からすぐわかったので、SP1をいれて、パッチをあてて無事完了。
しかし、メモリが128MBしかないので、XPから2000に変更しようとしたが、シャープのHPにはドライバが公開されておらず、OSが変更できない。
「シャープのPCは買うのやめよう」と思った。
1月31日(土)〜 ブルーマウンテン・バイシクルツアー 〜
ブルーマウンテンを自転車で下る! それが目的のツアーに参加。
実はこのツアー、以前、ブルーマウンテンを徒歩で北から越えてきたときに、たまたま見かけたもの。つまり、前回は歩いて登った部分(山の北側を頂上まで)を逆に自転車で下る。
Kgnからブルーマウンテンの山頂へ移動し、そこに持ってこられていた自転車に乗ってひたすら坂道を下る。
おとなしく下る欧米人旅行者に対し、ジャマイカ在住の隊員は、急ブレーキをかけまくり、タイヤをガンガン滑らして遊んでいた。
そうこうしていると、自動車整備隊員1名が本格的に自転車の後輪を破壊。ツアー会社側から、「もう、今度壊したら予備はない」とまで言われ、「こんな態度の悪い客は初めてだ」とまで言われた。
ジャマイカ人にここまで言われるとは、協力隊員ってすごいゾ、たくましいゾ。
1月7日(火)〜9日(金)  〜 隊員総会シーズン〜
今度が最後の隊員総会である。
7日には、健康診断。思い出せば、ジャマイカへ来て、生まれて初めて検便というものをやったが、これで最後。
8日は、隊員総会。今回が最後ということもあって、議長をやるように要請があり、今回は議長。終了予定時刻より約1時間早く終了させ、大好評。
9日は、安全対策協議会をやった後、新ジャマイカ大使のお招きで、大使公邸で昼食。久しぶりの刺身を始めとする日本料理の数々。いやぁ、美味かった。
で、おまけで、10日に15年度2次隊の歓迎会をやって、全て終了。
ようやくモニーグへ帰れる。今回の首都滞在は長かった〜。
1月1日(水)  〜 ブルーマウンテン登山のその後 〜
午後5時、飯田調整員のお宅で新年会。
シニアボランティアの工藤夫妻から黒豆、たつくりを頂き、正月気分。
しかし、依然として、まともに歩けず...
12月29日(月)
泥棒騒ぎの後、報告書やらカギの貸与やらで首都に行ったは良いが、肝心のブルーマウンテン登山の用意を完全に忘れたコトに気づき、モニーグへ帰る。
しかし、Mrアブチに電話してみると、案の定普段閉めないカギまで閉めてきたとのコト。
そのカギを持って来てないので、Mrアブチの実家経由で帰ることに。
ルートは、キングストン→J$40→スパニッシュタウン→J$150→マンデビル→J$70→アブチの住むスポルディング→J$70→ケイヴ・ヴァレー→J$70→ブラウンズタウン→J$120→オーチョリオス→J$70→モニーグ。午前9:30出発で、午後4時着。
12月27日(土) 〜 ジャマイカのレコード大賞? 〜 Stingの記事
年末といえば、レコード大賞、紅白歌合戦。
ジャマイカにもそんな感じのステージがある、ということで、誘われて観にいく。
名前は「スティング」という名前で、今年ヒットを飛ばした歌手が軒並み出演するらしい(紅白には分かれない)。
入場料もJ$1500で、普通のに比べて高め。そのせいか、スリはいなかった。しかし、座席は無く、ずーっと立ちっぱなし。疲れる。
午後7時くらいから始まるものの、午前4時くらいまでは素人やあまり人気の無い歌手が出るとのことで、午前3時くらいに会場に行った。
しかし、「ニンジャマン」という歌手(DJ)が舞台で乱闘になり、そのあたりからドンドン雲行きが怪しくなり、出演予定だった「バウンティーキラー」(人気DJらしい)が来ないというアナウンスが行われると、観客は会場に転がってるビール瓶をステージに向かって投げ始め、かなりの瓶が宙を舞った。そして半分暴動のようになり、観客全員逃げるように会場を出る羽目に。
やっぱり、ジャマイカ。(写真中央がニンジャマンの怪我前。中右の白黒写真が怪我後。)
12月24日(水)〜26日(金) 〜 死活問題になるクリスマス 〜
24日。首都は異常なくらいの交通渋滞。いわゆる帰省ラッシュである。
25日。祝日。クリスマス。隊員連絡所に集まっていた男ばっかりで、日本ソバを食べる。わびしい...
26日。祝日(プレゼントの箱を開ける、という意味の「ボックシング・デー」)。基本的にジャマイカの店は日曜は休み。しかし、祝日は日曜に営業するスーパーですら、休み。つまり、食料がっ!! という問題が発生(誰も買いだめしてないトコロがマヌケ)。
たまたま事務所に出勤していた飯田調整員の家に半ば強引にお邪魔して、ご馳走を作ってもらい、ありがたくハイエナのようにいただく隊員6名。
飯田さん、ごちそうさまでした!
12月23日(水) 〜 ライム・キーへ 〜 ライム・キーのフランス人
とりあえず暇なので、隊員連絡所にいた隊員みんなでキングストン沖の無人島ライム・キーへ行く。
今回はロシア人でなく、フランス人のグループが。なぜ???
11月8日(土) マージャンやってる人々
今度は、小田原隊員(職種:養護教育)のPCの調子が悪いというので、OSの再インストールのためKgnへ。
で、ついでに、岡田さん宅に行き、みんながマージャンをしている横で作業しつつ、つまみのまき寿司をご馳走になる。
途中、大使館主催の日本映画を紹介するイベントがデボンハウスであったので、そこまで行き「ビルマの竪琴」を観る。
10月29日(水)
夜、たまたま連絡所に集まっていた養護教師隊員みんなで、ケーキを買って誕生日(本当はおととい)を祝ってくれた。
これで、31か。30歳の一年は早かった。
10月28日(火) 〜 在外選挙投票 〜
今日の9:30から土曜まで衆議院選挙の在外選挙の投票日である。投票のため、その期間中二日(移動日を含めて)、日本人ボランティアは職場を休むことになっている。
で、朝、早起きして5分前に大使館に到着し、投票一番乗りであった(やはり、在外といえども写真撮影は禁止だった)。 魚料理
10月18日(金)
岡田さんお勧めの「金曜だけ出るウマイ魚料理の屋台」まで行った。場所はポートロイヤル。
魚はおなじみのスナッパーとドクターの2種類が選べ、それをジャークチキンを作る燻製機で燻製に。内臓部分には、スパイシーな薬味の野菜が入っているもの。
車で連れて行ってくれたシニアボランティアの小堀校長先生がおにぎり(日本米に海苔付き!)を持参してくれて、よりおいしく食べられた。
10月16日(水) 〜 明日から秋休み 〜
明日から21日まで学校は秋休みなので、今日の授業が終わって、第4号報告書を提出するため、Kgnへ。
10月4日(土) 〜 新しいデジカメがやってきた! 〜 Cyber-shot DSC-F77
午後から岡田宅で、マージャン大会をやるというので、参加者と一緒に訪問し、みんながマージャンをやってる横で岡田さんのPCのウィルス対策。
ついでに、小堀シニアボランティアのPCも同じ対策をした後、3人で隊員連絡所に移動し、ウィルス対策を施した岡田シニアボランティアのPCにもいろいろ便利なツールをダウンロード。
そこに、石渕隊員が帰ってきた。
今週は彼女の家族がジャマイカに来ていたので、モベイに行っており、(石渕隊員の御厚意により)家族に新しいデジカメの運搬を頼んでいたのだった。
任国外で故障した前の”オモチャ”デジカメに代わり、ちゃんとしたデジカメである。
”4百万画素”...らしい。個人的には「そんなに大画面の写真撮ってもしゃあないやろ〜」と思うのだが、最近のデジカメはそんなもんらしい。
しかぁし! このカメラのウリは、レンズの部分がくるくると回転するので、ジャマイカ人に気付かれずに隠し撮りができるコトだ!!
10月3日(金)
隊員連絡所にADSLが導入された。(といっても、速度は256kbpsというモデムの5倍程度で、日本の8Mbpsとかと比べると30分の一以下)。
インターネットにはつながりっぱなし、ということなので、今学期教えているHTML関係の資料をインターネットで探そう、っと。
晩メシは、岡田さんが中華料理をご馳走してくれた。
8月29日(金)
夕方、影山さんを空港までお見送り。
本人の人柄のせいか、見送りの人数がかなり大勢になってしまい、おそらく「なんだ、あの中国人の団体は?」と周囲のジャマイカ人は思っていたことであろう。
8月28日(木)
昨日は同期隊員のヒロさんがモニーグの我が家(?)に泊まり、一緒にKgnまで来た。
調整員(事務所で隊員の面倒をみてくれている役職)の影山さんが、明日任期満了で帰国ということで、シニア隊員の岡田さん(影山さんとは同じマンション)、三浦隊員と一緒に5人で最後の宴会。
といっても、影山さんの部屋に押しかけ、ご馳走になり、その後、岡田さんの部屋で続いて酒を飲み...と、文章で読むと楽しそうであるが、実は、昼間の移動でバスがなかなか来なかったこともあって、疲れており、このとき異常〜に眠く、みんなには悪いけど早く寝たかった...
結局、岡田さんのご厚意で泊めてもらった。
8月18日(月)
新人隊員はこれまでのKgnでの研修を終え、この日、それぞれの任地へ赴任である。結構、みんな緊張していて、ただダラダラしてた自分達のときと比べると、初々しさが感じられた。 うーん、何故だ?
ま、それはそれとして、健康診断の再検査、「内容:魚の目」の診察を終え、モニーグへ帰った。
8月16日(土) 〜 新人歓迎会 〜
午後は、任国外旅行から帰ってきたときに会った15年度1次隊の隊員達への自転車講習会である。
パンク修理の仕方とか、ジャマイカでの自転車の運転の仕方を新人へ教える講習会である。今回、交通安全委員をやってる自分としては、一応、主催者側で参加。
夜は、そのまま歓迎会である...内容は、まぁ、いつも同じ...
6月27日(金) 〜 隊員総会&大使公邸レセプション 〜
また隊員総会である。いつもどおり、議事は決まっていて、一応決議を行う”できレース”である。つまらん。
午後には、13年度2次隊の隊員活動報告。これについては、いつも何人か、リハーサルすらして来ない発表者が居て、鬱陶しい。
練習以前に、何がメインのポイントなのかさっぱり解らないのもあるし、自分の任地の紹介だけで終わるのもあって、「希望者だけ、やらせりゃええやん!」といつも思う。
夜は、大使公邸で晩餐会である。各隊員の配属先の省庁のエライさんも呼ばれるのだが、教育文化省のエライさん(たしか、名前はMr.バレットだったっけ?)なんか、顔忘れちゃった。
6月26日(木) 〜 健康診断 〜
健康診断である。
前日の午後10時以降、絶食。しかも、診療所はクーラーがききまくりで、寒い。
まぁ、これも慣れたもので、まず血液検査だけとりあえず急いでもらい、その後、一旦、隊員連絡所に戻って、朝飯を食べる。で、また診療所に戻って、問診その他を待つ。
1年も経つと、時間を有効に遣えるようになった。
5月25日(日) 〜 もう少しで暴動!?のサッカー観戦 〜
ジャマイカナショナルスタジアムにサッカーの試合を観にいった。
対戦はナイジェリア対ジャマイカ。サッカーに詳しい隊員が言うには、ナイジェリアはアフリカリーグのトップレベルのチームで、今回は格下のジャマイカ相手に一流選手は来てない、とのこと。
そのせいか、ジャマイカがいきなり2点先行。
点が入るたびに、ビールを空に撒き散らすヤツがいて、濡れた、濡れた。
事件は、終了15分前にナイジェリアが2点目をとった時に起こった。
ゴール前で際どいプレーで2点目が入ったもんだから、観客席からジュースのペットボトルやら、食い物の容器やら、傘やらがスタジアムに向かって投げられ始めた。そのため、ゲームは一時中断、警官が観客席に向かって並び威圧を始め、早々に帰宅を始める観客もいた。
結局、警官が観客席に入ってきて、なんとか収まり、ゲームが再開、ジャマイカが3点目を入れ、勝利し、何事も起こらず。
きっと、あの3点目は暴動を抑える為の両チームの協議によるものに違いない。
5月16日(金) 〜 ジャマイカの受け入れ機関へ活動報告会 〜
ジャマイカ隊員は、1年の活動経過をジャマイカの協力隊受け入れ機関、PIOJ(Planning Institution Of Jamaica)に報告する報告会がある。今日がその日である(相手はジャマイカ人なので、当然、発表は全部英語)。
発表のための原稿は、先日提出したレポートになるのだが、PCを使って発表しようと思い、昨日のうちに隊員連絡所でパワーポイントにて作成(これも全部英語)。
随所に冗談や、自分の描いたスケッチを織り交ぜ、今回の発表者中、一番盛り上がった。
ちなみに、一番シリアスにPIOJが聞いていたのは、作業療法士の西口隊員(カズさん)のジャマイカの医療事情も踏まえたレポート(画面数、約30枚)。
その後、同期隊員みんなで、ヒルトンホテルにある日本食レストランにランチを食べに行った。久しぶりに食べたエビフライ、うなぎの蒲焼はうまかった。
5月9日(金)
今年の夏は任国外研修旅行である。
といっても、隊員が団体で移動するんではなく、一人で許可された範囲の国々(ジャマイカ隊員は、メキシコ、パナマ、コスタ・リカ、トリニダード・トバゴ、プエルトリコ、ドミニカ共和国、アメリカ)を旅行してきなさい、というもの。
最長3週間なので、メキシコ、パナマ、コスタ・リカを選んで行くことにした。
と、書くと、一瞬で決めたかのように見えるが、実は当初、一国に一、二泊ずつぐらいして、全部の国を周ろうと思ってた...
しかし、自分にとっての見所のある国を考えていくと、この3国になってしまったわkであるが、ここまでに約一ヶ月を要した。
というところで、旅行会社へチケットの確認に行ってきた。見積りはUS$1800だった。まぁ、2年中に一回の事なんで、いいか。
4月26日 〜 イースターの連休が終わり、旅行も終わる 〜
北海岸沿いにセントアンズベイまで移動し、西口隊員とたまたま日本から来ていた奥さんを乗せる。
そのままオーチョリオスで、しばしの観光の後、南下するA1国道に入り、モニーグで降ろしてもらい、無事帰宅。
4月25日 〜 ラム酒はかなり効く 〜 J$7500のラム酒
トレジャービーチを北上し、サンタクルスの町で朝食をとり、そのままジャマイカの数少ない産業の一つ、アップルトン社のラム酒工場の見学へ。
原料がサトウキビということで、以前ホームステイ中、サブラマで見た砂糖工場と途中までは同じ行程。砂糖は絞った結晶を使うが、ラム酒は液体の方を使う。
発酵させ、過熱して蒸留して、オーク材の樽でねかせて出来上がりらしい。
しかし、このツアー、ちゃんとラム酒(16種類も)飲めて、その後に土産を買いに行くわけで...すっかり気が大ききなってしまい、なんと40年ものJ$7500のラム酒を買ってしまった。限定6000本のうち、4107番だった。
40年ものの味は、やはりラム酒とは思えないほど濃く、それなりのものである。
その後は北海岸のモンテゴベイに抜け、ホテルにチェックインして、有名なドクターケーブビーチでスキンダイビング。ここは魚がいっぱいいて、ちょっとびっくり。
しかし、この街はジャマイカ”いち”の観光地だけあって、ジャマ人が観光客慣れしていて、ちょくちょく癇に障るのである。
4月24日 〜 ジャマイカ(ほぼ)一週旅行・中西部編 スタート 〜
時間に正確な日本人は計画通り、岡田さんの車で朝8時きっかりに出発。
まずは、加藤隊員の配属先ヘイズのヴェア・テクニカルハイスクールに立ち寄り、そのまま南下して、マングローブの森をボートで下るツアー(一人J$100)に参加。
その後、ジャマイカ島の最南端を目指したが、な、な、なんと、最南端のポートランドポイントのエリアは広範囲に渡って、会員制の”シューティングクラブ”の敷地となっており、ゲートに阻まれ、断念。
しかし、その近くのロッキーポイントという、開発されておらず誰もいない上に、海が異常なまでに綺麗なビーチで休憩し、町で昼食。
町にはアジア人が珍しいらしく、こっちがパトワ語で話し掛けると、向こうはかなり驚いていた。
車はそのまま南海岸近くの道を走り続け、アリゲータポンド近くの「マナティが居る」と”言われている”湖へ。
その場にいたジャマ人(ラスタマンっぽい)、「今からマナティを呼んでやる」と言い、いきなり「こーーーむ、こむ、こむ、こむ、こむ」とでかい声を湖に向けた。
「こむ」とは「Come(来い)」ということだが...そんなデカイ声出して、野生動物が来るワケがない。しかし、彼は「もうすぐ来る」と言い張っていた。
しばらくして今日の宿泊先、トレジャービーチのコテージに着き、夜はコンク貝を食べた。
4月22日〜23日
今年の夏は、隊員期間の2年の内で一回限りの海外旅行「任国外研修旅行」に行く。
旅行とはいえ、「研修」であり、行ける国、期間、移動方法(格安チケットは不可)等に制約がある。
この二日間は加藤隊員と共に、旅行の行程作案に遣った。
事務所で作業中、シニアボランティアの岡田さん(職種は加藤隊員と同じ自動車整備)が現れ、たまたま日本から友人が来ているとのことだったので、ジャマイカ国内旅行を提案。
これもまた、加藤隊員と共に計画し、早速ホテルに電話予約を入れた。
3月29日(土)
またも、JICA事務所でPCのメンテナンス作業。
たまに、端末(iMac)がネットワークにアクセスできなくなる、という不具合の改善が目的。
ネットワークの問題ではない、という調査は、既に昨日、浦隊員と小島隊員で済ませてくれていたので、今日は3人で調子の悪いiMacのOSの再インストール。
PC導入から5年、一度もOSの再インストールをしたことが無い、というiMacは、電源を入れてから操作ができるようになるまで9分かかっていたが、OSの再インストールで、1分になった。
なんとまぁ、お手軽な対処法。
3月8日(土)
モニーグ大学の図書館のネットワークを改造する為のLANのコネクタを買う。
見積もりを取った店は、一個J$35(105円)だったが、JICA事務所のビルの1Fにある店では一個J$10(30円)。品物はまったく同じ。しかしこの値段の差。これがジャマイカである。
夜は、ジャマイカ・ジャパン・カルチャーフェスティバルの一環、ヴァイオリンコンサートへ。チケットは隊員特価、J$300。こんな値段でプロの演奏を聞いていいのだろうか!? しかも、早めに行ったので、真中の前から4番目という席を確保!
途中、余興で、クイズコーナーがあり、日本人に対して、「パトワ語で、How are you?は何と言うか?」というクイズがあり、手を挙げ「ワー・グワーン」と答えたら、会場中のジャマイカが大爆笑!(ちなみに、正解である)
正解の賞品にガラスの小皿を戴いた。
3月7日(金)
隊員連絡所内でLAN環境を整える為、JICA事務所の余ってるLANケーブルを取りに行った。
”余ってる”とはいえ、天井裏にひいてあるので、天井板を外してホコリに塗れての作業。
2月26日(日)
二日酔いを残しつつ、モニーグへ帰宅。
2月25日(土)
風が強く、朝天気も悪かったので、ライム・キー行きは中止して、カナダ人ボランティア、サムの家へ。
しかし、たかだか、CD一枚分のPCデータを交換するのに、何故か四時間もかかった。
夜は、新しい白田調整員の自宅へ押しかけ、懇親。
楽しく、しかし、ビールを次々にだしてもらい、かなり飲んでしまった。
2月21日(金)
約一ヶ月ぶりに首都へ。
隊員対象の自転車講習である。
運転時の安全についてと、パンク修理の仕方。
1月17日(金)
朝からKgnへ移動して、こないだの健康診断のレントゲン再撮影。
「わざわざ、一人だけ呼び出されるって事は、なんか、悪いカゲでも見つかったんかなぁ」とドキドキしていると、単純に向こうの撮影ミスらしい。
こらぁー!、モニーグからここまでの旅費払いやがれ!
1月8日(金)〜1月11日(土)
安全連絡協議会、健康診断、隊員総会、14−2の歓迎会ということで、ドミに連泊。
夜中までうるさくてよく眠れないわ、会議のホテルや健康診断の病院はエアコン効き過ぎで寒いわ、で体調最悪。
あー、早くモニーグに帰りたーい。
1月3日(金)
ネグリルに行ったメンバーで、影山調整員宅で新年会。
岡田SV(シニアボランティア)の一時帰国の際の土産、日本酒「清洲城 信長 鬼殺し」、影山調整員が日本から送ってもらった御節料理を戴き、かなりお正月気分!
11月30日(土)
今日もデートの約束の日である。
とはいえ、二日酔いだし、面倒臭い。
しかし、また学校で文句言われるのもイヤなので、今度はこっちから電話をして断った。
後で知ったのだが、ジャマイカでは、男が電話をかけるものらしい。
夜はそのままドミで、12年2次隊の送別会に参加し、ペットの亀をもらう。
11月29日(金)
夜、「日本文化月間」の為に、ジャマイカの日本大使館で仕事をしていた元協力隊員(職種:日本語教師)の渡辺志保さんの送別会。
大使館職員の大西さんの家に、柔道のデモンストレーションをやったナオヤと二人で招待された。
インド文化圏に14年も暮らした経験のある大西さんの自慢のカレーを戴き、酒を飲みすぎ、幸せにヘロヘロになった。
11月18日(月)
JICA事務所から、今日は大学を休みにしてもらっているので、一日のんびり休養。
こないだ出演したTVをダビングさせてもらった。
11月17日(日) 日本文化月間風景
西インド諸島大学で、「日本文化月間」が開催。
協力隊員は朝6:30から力仕事に借り出され、加えて自分はお茶のデモンストレーションもやった。
仕事は夜遅くまであり、みんなバテバテ。
正直な話、来年は参加したくない。
11月16日(土)
昨日、デートに誘われたものの、「電話するわ」と言われただけだし、相手はジャマイカ人、アテにはならんなぁ〜と思いつつ一日が過ぎた。
正直な話、電話が来なくてホッとした。
11月7、8日 〜 茶道のお手前で、ジャマイカのTVに出演!! 〜
7日、午前中に大使館へ行き、茶道道具の確認、お手前の時間配分なんかの打合せ。
その後、ドミ(隊員連絡所)へ戻り、本番で着る浴衣のアイロンかけ。
6時にテレビ局(TV−J)に出かけ、畳、その他の小道具をセット。
で、8日はなんと、朝の4時50分にドミ出発になってしまった。 TV局の中の風景
8日、朝5時に局に行き、セッティングしたものの、いつまでたってもTV局側との打合せが無い。
おっかしーなー、と思っている間にAM6:30。その名も「スマイル ジャマイカ」の本番が始まり、アシスタントに促されるまま出演、茶道のお手前の実演。
茶道のお手前をやりつつ、英語のやり取りをする!?」という難しい課題も何とかこなし、忙しかった二日間は終わった。
ちなみに、時間の配分が結構いい加減だったこの番組、後に控えていた他の隊員のインタビューはカットされてしまいました。
10月27日 〜 波乱の三十路の誕生日 〜
しばらく前に知り合った中国人の女の子Sylviaから電話が来たので、ブッティー、ナオヤと三人で「中華レストランでメシでも...」と思いつつ出かけてみると、いきなり教会に連れて行かれた。
信者は全員、中国人。メシを食いたかったこちら3人は、退屈ぅ〜なお話を約40分聞かされる羽目になった。
多くの中国人と知り合える場所が解って良かったが、問題が一つ。北京語でなくて、広東語の人達なんだよねぇ〜。
10月26日
日中、ケーブルTVが入る石渕隊員のホームステイ先へ、トシさんからもらったビデオデッキを据付けに行く。
とはいえ、録画してみても、ちゃんと撮れない。やはり、ケーブル放送、録画防止機能が付いておったか...
夜は送別会。
トシさんに、この絵をジャマイカ記念にプレゼントした。
10月17日
明日からの「スキューバダイビング免許取り旅行」に備えて、スキューバの本を読み終える。。
約250ページのこの本を読んでいかないと、試験に合格できない。
10月16日) 〜 今日は選挙の日 〜
選挙活動は一昨日の夜までだったので、それまでのうるささが嘘のように静か。
各地区で、与党のPNPと野党のJLPが接戦だったが、僅差でPNPの勝利という構図が多く、最終的には与党のPNPの勝利。
それはともかく、JICAで契約しているジャマイカ人顧問医のDr.Baughも当選(JLP)したらしい。
今度から、予防注射を国会議員に打ってもらうことになっちゃった。
10月15日
朝からJICA事務所で、PC関連のメンテナンス。
新しいMac G4でサーバを立ち上げ、CD-RWやHDD等の外部機器を接続。新たなWin機のプリンタ設定、等等。
10月7日 PC修理
朝一番の授業を終え、Kgnへ。これまでの携帯がバッテリー交換出来ない構造だったので、別のタイプを事務所から借りる。
午後は水野隊員のPCの修理。PC側の電源コネクタが取れてしまっていたので、筐体を切除し、コードをハンダ付けで引っ張り出し、コネクタを付けた。
無事動作するようになり、お礼にオハギをもらった。久しぶりに食ったオハギは美味かった。
9月24日
朝一番で予防注射(A型肝炎)をしてもらい、モニーグへ帰る。
午後の授業をした後、PCカードの調子の悪いラップトップPCのOSを再インストールしたりしていると、アップ出来ないでいたHPのデータを消してしまった。
というわけで、しばらくこのHPがアップデートされなかったのでした。
9月23日
月曜には8:00から授業があったのだが、日曜日にKgnのバスパーク周辺で選挙集会がある、ということで帰れないので、休みにしてもらっていた。
で、次の選挙の日程が決まり、10月16日。
大使館が企画している「日本文化月間」に当たるので、「日本文化月間」の方は延期。
その一環として10月26日に予定されていた茶道のお手前披露も延期になってしまったので、”二十代の最後に茶道のお手前披露!”という話も無くなってしまった。
ドミでボケ〜、としていると、予防注射(A型肝炎)の予約した事をすっかり忘れていた。
9月21日
調整員の地守さんの送別&新所長の歓迎会開催。
今回は、料理が豪華&大量。ドミのギターは弦が切れており、いつもは手品を披露してくれる浅井隊員が急遽、胃潰瘍で倒れたため派手な出し物は無かったが、参加者が多かったせいもあり、結構、盛り上がった。
最後に、帰国する地守さんから、物資の御裾分けくじ引きがあり、乾物類と、TOEFULの問題集をGET!
9月14日(土)
ジャマイカに来てすぐに語学研修で世話になった、ドーン先生から、ホームページ作成の依頼があった。
先生の所属するJJFという団体のページを作りたいらしい。
打ち合わせに今日が都合が良いと言うので、Kgnまで来て見たものの、電話も来ず、結局ドミでダラダラして週末は終わった。
まぁ、ドタキャンは当たり前のジャマイカ人なんで、仕方ないか。
9月6日(金)〜9月8日(月) 〜 久しぶりに日本並に働いたJICA事務所のLAN改修作業 〜
8月26日に夜間作業に引き続き、JICA事務所のLANの改修作業である。
金曜の夕方、まず、所長を始めとしたJICA職員の方々と打ち合わせ。
27日10:00から一斉作業開始! リンステッド浦さん、ポートアントニオこじ(小島)、オールドハーバーあきら(藤原)、マンデビル羽生さんと共(全員SE隊員)に、倉庫で眠っていたPCを立ち上げ、天井を外してLANケーブルを捌き(久しぶりにLANケーブルのコネクタ作った)、古いMacを新しいMacに更新する作業を各自同時進行。
使われないまま放置されているケーブルにも全て経路表示の札を付け、信号が集中する場所のないようにLANを組みなおし。
作業中、DSLモデムをリセットさせてしまい、結局それはプロバイダーを呼ぶことになった。
そんなこんなで、土曜は夜3時まで、日曜も10:00〜15:00の作業となった。
久しぶりに日本並に働き、かなりヘロヘロではあったが、食事は全て職員や、他の隊員が作ってくれて強力にバックアップしてくれた。さすが、協力隊員だ!。
8月26日
モニーグの先生数名がキングストンに行くので、そのバスに乗せてもらいドミに来た。
今回の目的は、JICA事務所のPC環境の整備。使用されていないPCのセットアップやら、ネットワークの改善。
この日の為に集まったポートアントニオの小島隊員、リンステッドの浦隊員と共に事務所の就業時間後の5時からスタート。
  • MAC G4にOS−Xをインストール … 完了
  • MAC G4を新たなサーバにする … イマイチOS−Xのネットワーク設定がよくわからず、未完。
  • 現状のLAN環境の把握 … あまりにごちゃごちゃなので、短時間では調べられない。再来週の土曜一日かけて実施の予定
  • MAC用アプリ、ページメーカのバージョンアップ … クリーン環境のMAC同士で実験を試みたものの、時間切れで断念。
    これまでは、こないだ帰国した前所長がPC環境を見てたらしいのだが、あまりにぐちゃぐちゃ! 帰国する前に整理していって欲しかった。
    結局、夜の12:00まで仕事してしまった。
    8月16日
    10月26日に日本文化月間という催し物を大使館主催でやることになり、協力隊員にも支援の要請が来ている。
    そこで、茶道と活け花のデモンストレーションをやることになり、茶道の責任者になった(他にやれる人がいない)。
    というわけで、再びキングストンへ。大使館で展示予定品やら、茶道道具の確認。
    道具は全て揃っていて、後は御菓子と抹茶だけ。 ニッサン整備工場
    8月9日
    昨日の”山道6時間”の疲れも取れきれないまま、ヒロさん(職種:自動車整備)がシニアボランティアの岡田さんの職場、警察車両整備工場を見学させてもらうというので、一緒に連れて行ってもらう。
    その後、ダウンタウンにあるニッサンの営業所&整備工場を訪問し、影山調整員の軽妙なトークに気を良くしたGeneral Managerが帽子とボールペンをくれた。
    昼食も影山調整員宅でご馳走になってしまった。
    8月4日 … 〜 ライム・キーへ 〜
    ライム・キー海岸
    同期の加藤隊員(ヒロさん)、小倉隊員(よっちゃん)、石渕隊員(ぶっちー)と共に、キングストンの南に浮かぶ無人島ライム・キーへ。
    語学訓練中に行ったポートロイヤルまで行き(ドミ付近からタクシーで約J$800、ダウンタウンからの98番バスだとJ$30)、ボートを頼む(一人J$250往復)。
    「観光地で混んでて、海も他の北海岸程はきれいじゃない」と聞いてあまり期待していなかったが、実際行ってみると海もきれいで、しつこい物売りもおらず、快適。
    なかなか良かった。みんなで「また来よう」と言い合った。
    7月31日〜8月3日
    8月1日に帰国する渡辺シニア隊員を見送るためキングストンへ。
    その後、8月3日には14年度1次隊の歓迎会。
    7月15日〜17日 … ジャマイカ、ビデオ撮影
    残っていた食材も食い尽くし、胃も治り、モニーグに帰る準備をしていると、調整員の地守さんから「ジャマイカ紹介ビデオ」撮影の手伝いを頼まれる。
    JICAの本部からの依頼で、どんなシーンを撮って欲しいか、まで決められている(繁華街、食堂風景、特産品等)。
    ハンディカメラを三脚で固定して、各シーン一分づつキングストンの街中を撮ってまわったのだが、ジャマイカはビデオ撮影するのが非常に面倒くさい。
    ココナッツ売りに「撮ってもいいか?」と訊くと、法外なお金を要求してくるし、「今日は良い服を着てきてないから、俺は写すな。ココナッツの台車だけならOK」とか。
    店関係では「マネージャの許可が要る」といわれ、オフィスまで行ってもマネージャが居ない。
    繁華街の風景を撮ってると、怪しいヤツが近づいてくる。
    さすがに繁華街は、事務所が雇っているジャマイカ人の運転手に一緒に来てもらった。
    手伝いのお礼に、地守さんから蕎麦をもらい、二人で茹でて食べた。
    他にも、撮影が済んだジャマイカ料理を戴き、充実した日々だった。
    ところで、事務所で現地語学訓練をしてくれた先生、ドーンとマークに再会。どうやら14−1の訓練も彼女達でやるらしい。自分達がついこないだやったばかり、という感じだけど、もう先輩隊員になるのか。早いな。
    7月12日 〜 14日
    調整員の地守さんから、「胃が痛いのは、強行日程で旅行なんか行った疲れだ。キャベジン呑んでなさい」と言われ、生まれて初めてキャベジンを飲む
    と、先輩隊員の一人が交通事故で怪我をしてドミまで来た。
    自転車走行中、車と接触したらしいのだが、本人の記憶がとんでいるので定かではない。顎の骨が割れており、治療のため一時帰国することになった。
    ちなみに、希望者には自転車と一緒にヘルメットも貸してもらえる。 ヴェア技術高校
    7月9日
    ヘイズのヴェア技術高校に住む同期の加藤隊員(ヒロさん)の家へ行く。
    かなり設備の整った技術高校で、校内で鶏、豚、山羊、牛を飼い、木工、自動車整備の教室に溶接機まである(産みたての卵をもらった)。
    ペンキもマメに塗りなおしているらしく、きれいな学校。ヒロさんの家も非常にきれいだった。
    明日はネグリル!
    7月6日
    午前2時半に起床。ドミを3時に出発。
    "システムエンジニア"守戸隊員と"柔道"小塚隊員のフルマラソンに、記録係として車に乗せてもらって付き合う。
    守戸隊員の職場、Linstead(リンステッド)の技術高校の正門から北上、モニーグを抜け、オーチョリオスの直前がゴールの42.195kmの地点(車のメータで確認)。
    午前4時にスタートし、小塚隊員は15km地点でギブアップ。日頃トレーニングをしていない彼のコメント「体が腐ってた...」。
    守戸隊員は見事6時間11分で完走。お疲れ様! ビールで乾杯。
    ちなみに、リンステッドからオーチョリオスまではバスで何回も通っているが、小刻みに停まりながら進んだのは初めてで、景色も良く、いいピクニックだった。
    7月5日
    PCラボの合鍵を作る。
    7月3、4日… 他の隊員の職場を見学
    キングストンで「倉庫の管理」をしている大塚隊員、「日本語教師」の渡辺、小倉隊員、「森林局」の堀越、石渕隊員の職場を見学。
    倉庫では、海外からの物資が「倉庫管理がうまくできないため、分配がうまくできていない」現状を知った。倉庫の管理の仕方を向上させる、という事の重要性をジャマイカ人も認識すべきだと思う。
    日本語の授業も面白かったが、日本語は難しい、と思った。モニーグでも教えたいが、どうなる事やら。
    "森林局"は首都にありながら、木造。まるで避暑地の別荘のような建物。倉庫と同じく、ジャマイカ人はノンビリしている。忙しいときは忙しいらしいが、ムラがあるのだそう。
    ところで、森林局でジャマイカ人がゴミとして捨てていたプリンタケーブルとマウスをもらってきた! ...どっちが援助国の人間だかわからんなぁ。
    7月2日
    キングストンに来て、赴任3ヶ月目の活動報告書を提出。
    初回ということもあり、ジャマイカの印象や任地の情報がメイン。モニーグ周辺の地図も気合入れて描いてみた。
    夜、ドミで「シックス・センス」を観る。 大使公邸のトイレ
    6月28日
    朝から"隊員総会"。またコートレイホテルの会議室を一室借り、ドミの運営方針やら、各委員を決める。
    委員は、企画・交通安全・ドミの3つあり、必ずどれかに所属することになっている。で、今回は企画委員になった。歓送迎会や、隊員総会などを進行するのが主な仕事。
    また、サークル(自由参加)活動もあって、JJCFという「ジャマイカの貧しい学校に、本を買って寄付する」サークルに入った。
    午後からは、帰国間近の隊員の活動報告会。全然違う職種の報告とか、面白かった。
    夜は、教育文化省や保健省やらの偉いさんと、ジャマイカの日本大使の公邸でパーティ
    おでん、ちらし寿司、エビフライといった日本食が出た。ちなみに、寿司のイクラはすぐになくなった。
    日焼け
    6月27日
    今日はビルの1Fにある診療所で地方隊員の"健康診断"
    ちょうど、こないだの日曜のオーチョでの日焼けで皮がべりべりむけていたので、クリームを処方される。
    夜は「システムエンジニア隊員」だけの集会に参加。同職種だけに、情報交換が盛り上がった。
    6月26日 … 長〜い一日
    今日から週末まで、健康診断やら、隊員の集会やらでキングストンでのドミ生活。
    湯船にも浸かれないし、シャワーも水だし、夜寝れないし...。
    朝に移動し、午後からコートレイホテルの会議室で"安全協議会"。今年中に実施されるであろう選挙に向けての安全対策を聞く。
    コートレイホテルの会議室
    総会の後、近々帰国する先輩隊員のアパートまで、テレビを引き取りに行く。14インチとはいえ、抱えてドミまで約5分歩いた、しんどかった。
    さらにその後、ヒルトンホテルのプールサイドで、「教師隊員」だけの集会に参加。しかし、まだ授業をやっていない身としては、なんの発言もできず。
    4月22日
    教育文化省(Ministory Of Education & Culuture)訪問。上から3番目くらいの人(らしい)と会う。
    「隊員の任期2年と言わず、ぜひ3年居てほしい」と言われた。でも、現職参加なので、無理です。
    4月20日(土) 歓迎会
    午後に自転車講習会をやり、夕方からドミで新人歓迎会。新人隊員の紹介を兼ねた歌を歌った。盛り上がって何より。
    同期隊員左から(敬称略)、柔道:小塚(ナオヤ)、システムエンジニア:日暮カオル、植林:石渕(ヴっちー)、日本語教師:小倉(よっちゃん)、養護:林田(リンダ)、作業療法士:西口(カズさん)、自動車整備:加藤(ヒロさん)
    4月8日(月)〜4月22日 … [語学訓練]
    JICA事務所の会議室で、英語とジャマイカについて(社会、歴史、文化)の授業が平日10:00〜15:00。 観光
    授業の一環として、ポートロイヤルに行ったり、植物園に行ったり、ボブ・マーレー博物館に行ったり、ちょっとした観光地めぐり。
    個人的には現地語であるパトワ語の授業が3時間くらいしかなくて残念。
    空いた時間は、鈴木光司の小説「らせん」を読む。
    4月7日(日)
    隊員の詰め所、ドミに移動。 ドミ設備
    内装は、一見した感じでは高級感がある。ただし、電球が切れてたり、シャワーヘッドが壊れてたり、とメンテナンスの不備が目立ち、なんとなく途上国を実感する(ベッドルームが散らかっているのは自分達のせい)。
    4月5日
    ジャマイカ、首都キングストン着。
    とりあえず、JICAの事務所で簡単なオリエンテーションと挨拶をしてから、ホテル宿泊。
    なぜか最初の2泊はホテル住まいらしい。そんなに大した設備でもないのに、一泊7000円くらいする。不満ぶーぶー。

  • [ 戻る ]






    SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送