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チリ・アルゼンチン・パラグアイ...このページは現在、工事中です...。

チリ
4月5日(月)〜 チリ 到着 〜
朝7時頃、チリの首都、サンチアゴに到着。
昨日は、マイアミでかなり歩き回ったせいか、飛行機のシート(もちろんエコノミー)でも結構ぐっすり眠れた。
で、まず、考えないといけないのは、”いつアルゼンチンに入国するか”である。
チリとアルゼンチンなんて、接してる国境も長いから、いつでも越境できそうに思えるが、実はちゃんとした長距離バスで越境となると、経路は限られる。
しかも、今回、季節は秋なので、暖かい北部を旅する事にしたので、カラマ→サルタのルートということになる。で、このルート、なんと”バスが水・日 しかない.9:30発”と「地球の歩き方」(以下、「歩き方」)に書いてある。
ということは、後々の旅程を考えると、あさっての水曜のバスに乗らねば! ということで、とりあえず、国内線飛行機で一気にカラマまで行くことに。
飛行機は、ランチリ航空と、スカイエアーの二つの会社があるが、少し安く出発時間の遅いスカイエアーを選択。
出発の時刻は午後だが、今はまだ午前8時。空港の観光インフォメーションでサンチアゴの地図をもらい、市内へのリムジンバスに乗りサンチアゴ市内へ。
バスは、地下鉄のロス・エロエス駅の近くが終点。
バスを降りたときのこの感動、いや、この感激は、ジャマイカに2年間住んだからこそであろう! うん、うん、ここはヨーロッパ!
そう、サンチアゴは”ヨーロッパ”である。
行きかうラテン系の人々はもとより、町並みが完全にヨーロッパなのである。
ジャマイカの家並みを見続けた2年間に、この町並みの美しさは、衝撃、大きすぎ!!! ...もう、壁が原色のペンキで塗られていたりはしないのだ!
ちょっと浮ついた気分で、アラメダ通りを進み、カフェでサンドイッチとコーヒーを食べる。
市内を散策し、スケッチブックを購入。
まぁ、ジャマイカと違って、どう見ても先進国の商店街で、端っこにはフードコートになってる建物もあるし、いや、すばらしい。
フードコートで、ウニ丼とビールを食べ、元のバス停に戻って空港へ。
空港で、ジャマイカの同居人、Mr.アブチに絵葉書を出し、搭乗。
スカイエアー
カラマの飛行場は、小さい。で、そこから町まではタクシーなのだが、乗客のほとんどは町まで行くわけである。
しかし、みんなそれぞれタクシーに乗る。
これは経済的ではないので、適当にそのあたりにいたおじさんを捕まえ、タクシー料金をシェアする提案をしてみた。そんなことをする人はいないらしく、運転手は何か不満気だったが、とりあえずOK。
さて、カラマに居られるのは、明日一日のみ。ではこのエリアで一番の見所っぽい「アタカマ周辺ツアー」に参加してみたい。
本来は、アタカマの町まで行って、そこで、ツアー会社に申し込むのもののようだが、ここサルタからも申し込んだ事例が「歩き方」に載っていたので、観光案内所で聞いてみることに。
こっちはなんとかスペイン語で話し、カウンターのおばさんはなんとか英語で話そうとするおもしろい状況の中、結果的には「一人で行こうちおすると、異常に割高」ということで、ツアーは不可。(車のチャーター代の問題なので、4、5人であれば少し割高なくらい)。
では、明日はこの近郊を適当に廻って終わりかな、と思いつつ、宿捜し。
チリでは初めての宿泊なので、とりあえず、「歩き方」にある最安の宿は避け、「Gran Chille」を選ぶ。シングルUS$8との情報だったが、ツインしかなく9500ペソ。 なぜか、日本アニメの店が!
次は「次の移動手段の確保」である。つまりアルゼンチンのサルタ行きのバスを予約するのだ。
まずは、町の北のバス会社が集まっている地域へ。
Frontera社→「水曜はもう満席。Geminisへ行ったら?」。Geminis社→「水曜の便は満席よ」。が〜ん!
が、その後「でも、Pulluman社の金曜の便なら空いてるんじゃない?」。
へっ? 金曜日の便ってあるの???
Pulluman社に行くと、バスは金、月出発。しかも10:00発の便に空席有り...おいおい、「歩き方」編集部、もっとちゃんと調べろよ!
ということは、アタカマに行ってくる時間ができたわけで、チリ滞在日数も伸びたわけであるが、アタカマは率が悪いらしいので、この町で両替をしておく。
その後、「歩き方」お勧めのレストラン、Restaurent Pukaraを探すものの、その住所はクリーニング屋になっていた。
が、そのあたりを歩いていると、一本東のLatorre通り(南北の位置はちょうどRestaurent Pukaraのあったであろうくらいの位置)に「2000ペソで、3ディッシュ」という黒板が出ている定職屋があり、そこで晩飯。チキン入りスープとメインの肉とパンかライスで2000ペソ。これは安い(ちょっと野菜が足りないけど)。
4月6日(火)〜 チキカマタ銅山...の本社 〜
昔、地理の時間、「チュキカマタ銅山」という名前を聞いたことがある。その銅山がここ、カラマの北にあり、見学ツアーがあるのだ。
「歩き方」には「ツアーは9:30から。遅れないように行こう]とあるので、9:00には着くように、しっかり早めにツアー受付の売店へ。
が、行ってみるとツアーは「ア ラ ドス(2:00)」と言われる。 CODECO本社
いや、まさか、ガイドブックに嘘はあるまい。そうか、きっとこの店は銅山の会社とは別のツアーに違いない! と思い、銅山の会社Codecoの本社ビルを目指す。
素早く帰りのタクシーを捕まえ、カラマの町の手前で左折してもらい、本社まで(ちょっとした寄り道になったので、少しタクシー料金をボられた。)
で、仰々しい本社ビルである。(ちなみに、写真の左の方にある、茶色の部分は、”銅”製の壁である)。
まぁ、デカイ会社のまともなビルなので、スーツをビシっと着たビジネスマンの方々がうろうろ。
そんな所に、小汚い格好で突っ込めるのがバックパッカーの凄いところだ、と自分で自分を鼓舞しつつ、受付に突入。
これまた、きっちりブラウスを着たお姉さんが、用件を聞いてくれて、一段奥の受付へ。
しかし、そおの時点で、時刻は既に9:40。ツアーは出発してしまっているのか!? が、しかし、それならそうと、受付のお姉さんも軽くあしらってくれそうなもんであるが「ちょっと調べてきます」と奥へ入っていったきり、帰って来ない。
行けないなら、とっとと10:30のバスで、サン・ペドロ・アタカマに移動したいのにぃ〜。
待つこと15分。ようやく帰ってきたお姉さんから出た言葉は「ツアーは2時から。チュキカマタの町の売店で受付けてます」。
っつーことは、あそこで合ってたのね。また「歩き方」が間違ってたのか...
となれば、一刻も早くカラマの町のバス会社に行かねば!
が、もうここはかなりカラマの町に近いはず。このビルのそばには南に向かう大きな道路もあるし、これはバスに乗ればカラマに着くはず。
で、バスに乗ったはいいが....遅い...めちゃめちゃ遅い。スピードは遅い上に、停留所が頻繁にある。
これは10:30には間に合わんか...と諦めてふと窓の外を見ると...ん? なんか、見覚えのある町並み...。
あ、ここ、昨日、晩飯食うために歩き回ったトコやん! 結局、出発の15分前にカラマに着いてた。
さて、バスは砂漠を走り、サン・ペドロ・アタカマへ。
アタカマの町並みを見た途端、チリという国のイメージが大きく変わった。
サンチアゴはともかく、カラマのような地方の町でも、高さは3階程度ではあるもの、コンクリートのしっかりした建物が並んでた。
しかし、ここアタカマは違う。赤レンガの長屋仕立ての家や塀が並ぶ。一瞬、アフリカのモロッコを思い出した。
さて、今日はここで宿を取ろう。
「歩き方」を参考に、Casa Corvatshという宿を目指して歩いていると、途中で旅行会社の女の子に「宿を捜してるの?」と聞かれる。渡された紙を見ると、なんとまぁ、Casa Corvatshの広告ではないですか。しかも、地図付き。
ついでに「月の谷」ツアーの詳細を聞くと、3:00発とのこと。
難なく宿に着いてチェックインすると、ツアーの出発まであと2時間ある。んー、これは、プカラ遺跡でも行ってこようかね。
で、レンタサイクル屋で自転車を借り...っと忘れずに、チェーンも借り、いざ出発。
赤茶けた砂の砂漠を延々こいで行くのだが、途中、川がある。
しかも、橋なんぞ、ない。
んで、今回の旅行は、寒い場所も通るので、サンダルでなく靴なのよねぇ。加えて長ズボン...。いやぁ〜、濡れた、濡れた。べちゃべちゃですわ。
「そんなん、砂漠なんやから、すぐ乾くんちゃうん?」と思う人、そうれはそーです。乾きます。ただし、問題はその後、靴の中敷がキョーレツに臭くなることです。
まぁ、そんなこんなで何とか遺跡に着き、頂上まで登ると、息がぜぇぜぇ〜、さすがアンデス山脈の始まり、標高が高い〜。
しかし、そこから見える景色は絶景〜。川の周りの平野がまるで、地学の模型のよう。
問題はここからである。
帰りの時間を考慮しても、あと20分くらいはある。実はレンタサイクルのおじさんに「俺のお勧めは、プカラ遺跡の3km先にある崖からの景色だ」と言われていたので、さらに進むことにした。
が、なんと、自転車のタイヤの空気が少ない...しまった!借りるとき、ブレーキやチェーンはチェックしたが、タイヤの空気はそこそこあったので、まぁ良しとしてしまっていた。が、ここまで乗ってくると、空気の減りが...キツイ...ペダルが重い...。止むを得まい、戻ろう...。
戻ってみると、ツアーのバスが既に来ている。早速、ツアーに申し込み...「いっぱいよ」って。げっ! そーなん!?
んー、バス(というか、ワンボックスのワゴン車)を見ると、確かに座席はいっぱい...あれ? 荷台、空いてるぢゃん! 「ここでいいから」と言うと、椅子を一脚運び入れてくれた。
時間は3:15になったが出発しない。どーしたんかなーと思ってると、参加者予定者が来ないらしい。
で、助手席に乗れることになり、月の谷ツアーに出発っ!
月の谷は、砂漠の中である。
そして、砂丘を登り頂上から断崖に沈む夕日を見たり、岩塩の地盤にできたトンネルをくぐったりする。
実はこの砂丘登りと、トンネルは時刻に大きく関係する。
つまり、ツアーが遅いと夕日が沈むまでに頂上に辿り着けないし、トンネルは真っ暗闇の中を進むことになる。
今回は、砂丘はOK。トンネルはガイドの携帯電話の画面の明るさのみを使い、みんなびびりながら歩いてた。
さて、ツアーから帰り、再度、ツアー会社を数社周る。
明日のツアーのためである。ツアーは会社にhよって開催曜日が違うようなので、ちょっと注意が必要。
値段は大体どこも同じようなので、信用できそうな大手っぽい会社「デザートアドベンチャー」を選んだ。
「大手っぽい」といっても、@受付くらいは英語が話せる、Aオフィスが広い、B「地球の歩き方」に紹介されている、という程度だが...。
洗濯を済ますとあとは夕食。これは「歩き方」お勧めのLa Casonaでパスタの固さも適度で茹でられており、なかなか旨かった。
明日の朝食を確保するため、町中を歩きフンブルゲサ(ハンバーガー)のテイクアウト。
4月7日〜 砂漠ツアー 〜
基本的にアタカマの見所を全て廻りたいワケで...「歩き方」によると残るは、トコナオ、アタカマ塩湖、ミスカンティ湖、タティオ間欠泉となる。
間欠泉は早朝出発の午後帰りであり、ちょっと時間的に無駄ができてしまう。よって、残りを全て廻るツアーに参加するわけである。
値段は昼飯込みで、20000ペソ。3500円くらいかな。
昨日、申し込んだツアー会社に7:50に行くと...閉まっている! 8:00になっても開かない...ヤバイ!と思ったが、もはやどうしようもない。
仕方なく、待ち続けていると、運良く「Desert Adventure」と書いた、赤いワゴン車が通りかかる。で、ホッとして、ドライバーにチケットを見せると「あなたのツアーは、あなたのホテルに緑のバスが向かってる」とのこと。 再度、ヤバイ! で、必死にホテルまで走る。
そういえば、昨日カウンターで、宿泊ホテルの名前を記載させられたっけ。でも「迎えにくる」という説明は無かったぞ...?
ま、結局、ラテンのお国柄、ワゴン車もそこそこ遅れており、余裕で間に合ってツアーに出発。
さすがに、ガイドの説明のスペイン語は難しくて、全部は理解できなかったが、少しは英語を話してくれたので助かった。
ツアーから帰り、夜の町をぶらつき、観光案内所で考古学博物館の場所と開館時間を確認する。
どうも、チリの観光案内所では、問い合わせに来た客をカウントしているようで、簡単な質問の場合でも、記帳をお願いされる。もしも事故が起こったとき等、自分の足取りが残ることになるので、こういう場所は、積極的に記帳しておくのである。
4月8日(木)〜 チュキカマタ銅山 〜
旅のルートとしては、この後、西に向かい、アンデス山脈を超えアルゼンチンに入国するわけであるが、バスは「カラマから出発」としか「歩き方」には書いてないので、カラマに戻らねばならない。アタカマは道中にあるはずなんだが、バイパス道路でもあって迂回されてしまうのかな? → この回答は後日判る!
カラマでやることは、先日行きそこなったチュキカマタ銅山の見学ツアーであるが、それは14:00から。
さて、アタカマの博物館は9:00開館。
ここの見所は、ミイラである。かなり保存状態の良いミイラが数体、展示されている。その他にも考古学で発掘された展示品がわかりやすく整理されて展示されており、お勧め。2000ペソ。
さて、10:30のバスに乗り、カラマへ。しかし、カラマーアタカマのバスの料金はアタカマ行き(つまり登坂)は1200ペソ(月、木、金、土の8:30,11:00,12:30,14:30,16:30,18:00,20:30発)、カラマ行き(下り)は1000ペソ(同曜日の8:00,10:30,12:00,14:30,16:15,18:45,20:30発)である(FRONTERA社のバス)。
カラマに着き、今度は最安の宿Resident Casa de Huespedesをとる。一泊3000ペソ。
「歩き方」には「どの部屋もツインで」と書いてあるが、部屋はちゃんとシングル。最初紹介された部屋は、ペンキ塗りたらしくシンナー臭かったので、苦情を言ってちゃんと変えてもらった。
安宿なので、バス・トイレは共同。それについては問題ないが、ここの宿のボイラがちと厄介。
いちいち湯沸かし機にマッチで点火しないといけないのだ。最初それがわからず、困った。
宿に荷物を置き、チュキカマタ銅山へ。
1:30に着いてみると「このツアーは予約制で、今日のツアーは満席です。」と言われる...。が、「今、まだ来てない人が居ますから、この人がこのまま来なければ...」ということなので、とりあえず待つことに。
しかし、結局は全員がそろってしまい、参加は不可能...
と思われたが、ふと、ここで閃いた。「いや、俺は一昨日、このCodecoの本社ビルに行った。そこで予約されているはずだ」と言ってみた。で、加えて、デジカメで撮っていた本社ビルの写真も見せてみた。実際、一昨日の本社ビルでは「予約したい」と言ったわけでもないので、微妙なトコロではあった。
しかも、そうこうしている内に、更に参加希望者が10名程来たこともあり、15:00から追加ツアーをやってくれることに。しかも、正規のものではないので、通常は払わないといけない1000ペソも不要とのこと。う〜ん、ラッキー!
15:00、ツアー用のバスがやってきた...というか、前のツアーが終わって帰ってきた。
これはおかしい。「歩き方」によると「所要2時間半」と書いてあるのに、なぜ???
ツアーは最初、部屋の中でボードや、実際の銅の板を使ってスペイン語と英語で説明を受ける。その後バスに乗り込み実際の採掘現場を見学へ。
ここで、さっきの疑問が氷解。「歩き方」には「バスから降りる場所は一箇所だけだが、その他、バスは鉱山を一周する」とある。しかし、現在は”バスから降りる場所にしか行かない”のだ。当然、バスが周遊する時間が短縮されているわけで、一時間で済むのである。
さて、なぜ短縮されたのか? それは「この鉱山は縮小傾向にある」からである。
説明によると、銅の鉱脈はこの場所だけでなく周囲にもあり、採掘・生産された銅の輸送コストを削減するため、2年後をメドにもっと消費地に近い鉱山を採掘する計画らしい。2040年くらいまで採掘を続ける計画とのこと。
さて、見学も終わり、参加者がそれぞれの車で帰っていくのを「誰か俺もカラマまで送ってくれんかなー?」と思いながら、ボケーっと見てると、ツアーでちょっと仲良くなった家族のお父さんが「乗っていけよ!」
車の後部座席に4人乗るのは、この2年ジャマイカに住んでた者には普通だったのだが、一応「狭くしちゃって申し訳ない」と断って、送ってもらった。
夕方は時間が余ったので、カラマの町の南にあるエル・ロア公園へ。
一応、「歩き方」には見所のように書いてあるのでだが...実際は大したことはない...往復1時間歩いた甲斐は無かったな。
4月9日(金)〜 アルゼンチン入国 〜
「歩き方」によると、コレクティーボ(タクシー)で片道40分で、チリ最古の教会が残る町チウ・チウに行けるという。
ということで、朝7:00に「歩き方」従い、「バルガス通りとレトレ通りの角で、80番のコレクティーボを待つ」ことに。
さて、何台が80番のコレクティーボを捕まえるものの、みんな「チウ・チウには行かない」という返事。
そうこうしている内に8:00になってしまい、10:00にアルゼンチン行きバスに乗るにはチウ・チウまで行ってられなくなってしまった。まぁ、「歩き方」の情報はこんなもんか。
10:00...から少し遅れて、バスはアルゼンチンに向け、出発。
12:00頃、アタカマに到着。あれっ!? アタカマには立ち寄るのかよっ!? しかも、ここで追加で乗客乗ってるし...アタカマから乗車することにしてればカラマ-アタカマを一往復分、時間と金を節約できたなぁ...。
30分くらい走ると、チリの国境事務所があり、そこで出国手続き。
しかし、ここで奇妙なことに気づいた。
出国手続きはしたものの、その先にアルゼンチンの国境事務所が無いのだ。
バスは、アンデス山脈の砂漠を延々と走る。ガンガン、走る。途中、昼飯が配られ、それを食べてもまだ事務所には着かない。
かなり走ったところで、ようやくアルゼンチンの国境事務所に到着。これまでいろんな国境をバスや列車で越えたけど、2国間の国境事務所がこんなに離れた国境は経験したことないな〜。貴重な経験かも。なぜなら、ここまでの道のりのエリアに誰か住んだとしたら、極端な例で言うとその人はベルリンの壁の間の緩衝地帯に住むのと条件は同じでは? だって、1つの国(チリ)を正式に出国して、その後、どこの国にも入国していない状態なワケだから。
まぁ、誰もそんなコトは気にせず、持参した2gの水道水(チリとアルゼンチンは水道水が飲める)もかなり減った夜中の12時、アルゼンチンのサルタへ到着。
(注意)到着時刻が遅いので、事前にアルゼンチンペソは両替しておきましょう。24時間ATMでキャッシングしてもいいけど。
4月10日(土)〜 ウマワカ渓谷を見た後は、入国管理事務所へ連行だ! 〜
バスのチケットを買ったとき、一番の不安は「夜中の12:00にどうやって、宿をさがそうか」ということだったが、それは杞憂に終わった。
バスターミナルに着くなり、安宿の客引きがいっぱいいたからである。その中で、バスターミナルに一番近いHostel INTI HUASIを選んで、ワゴン車で送ってもらう。
簡単な朝食付きの大部屋で1泊US$10。共同バスだが、お湯シャワーだし、連泊してもベッドシーツを毎日交換してくれるというサービスは、良い!
さて、サルタに泊まったのは「南米のグランドキャニオン」と言われる「ウマワカ渓谷」を見るためである。
洗濯(もちろん手洗い)を済ませ、朝食の後、バスターミナルへ。まずはフフイの町まで。
アルゼンチンのバスターミナルには、バス会社のカウンターが多数並んでいる。
その中から、行きたい町の名前が書いてある会社のカウンターを選ぶのだが、出発時間が遅かったりすると、また別のカウンターを探して聞いてみたりすることになる。今回はなんとか1時間待ちくらいのバスが見つかり、7ペソ。
フフイでも同じようにバス会社のカウンターを廻り、ウマワカ渓谷へ。
正直な感想で言うと、「南米のグランドキャニオン」は言いすぎ。「この程度の渓谷なら他にも結構あるかな」というところ。この渓谷のおもしろさは、バスから見える山々が、「いきなり色が違う」というところだろう。基本的には、赤茶けた色の山が多いのだが、いきなり緑だけの山とか、茶色だけの山とか、くっきり色が違っておもしろい。
さて、ウマワカの町には、みやげ物屋や、屋台があり、毛織物が結構ある。
アンデスで毛織物といえば、当然「ヤク」である。ここで、セーターを購入。軽くてかなり暖かい。
バスターミナルの物売りのおばさんからエンパナーダという肉詰めパイを買って食べ、帰途につく。

途中、ティルカラという町で降りる。
ここには、考古学博物館と、インカ遺跡があるのだ。
まずは、博物館へ。
田舎の博物館といえど、侮れない。結構な数の出土品があるらしく、ミイラなんかも展示されている。また、考古学関係の本が売られていたり、と結構その筋では重要だったりするのかな?
博物館のチケットには「遺跡入場券」なるものがついており、町の裏山にある遺跡の入場がタダになる。
元々、遺跡まで行くつもりだったので、場所を聞いて...といっても「この坂を下った2個目の角を山の方に入っていけばいい」とだけ言われ、出発。
「歩き方」にも「町の裏山には〜」とあるので、すぐかなぁ〜と思いきや、結構遠い。15分は歩いた。しかも、坂道で結構つらい。荷物は水のペットボトルだけだったんで良かったけど。
遺跡の手前には植物園も併設されていて、高山地帯の植物が見られる。サボテンにもこんなに種類があるのか、という感じ。
ゲートをくぐって更に坂を上ると、インカ時代の遺跡が。
レンガを積んで作られた家屋や、塔なんかがあり、そこから見下ろす渓谷の景色が気持ちいい。
で、バスターミナルまで戻り、バスを待つこと約1時間。乗ったバスは鈍行。
旅行者が観光用に使うEXPRESSバスではないので、地元の人達で混んでいる。
列の最後で乗り、なんとか最後の一席に座れたが、その後おばあさんが入ってきたので、席を譲ってあげた。
と、後ろの方から声をかけられ、見てみると席が一つ空いていて、ここに座れということらしい。
そこの列の家族が、子供(といっても、結構大きい)を膝の上に乗せて、席を空けてくれた模様。
親切をすると、それを見ている人はいるものである。
鈍行バスは、途中でインディオの人を乗せては降ろし、のろのろとフフイの町まで進んでいった。
さて、フフイに着くと、夜の9時を過ぎていた。で、次のサルタ行きのバスは、と...夜中の1時っ!?
ここからサルタまで2時間はかかるから、帰り着くと夜中の3時。宿の玄関は開いてないだろう、マズイなぁ。
しかし、そんな不便なバスの運行、地元の人はどうしてんのかな? と思ってチケット売り場周辺を見回してみると、居ました! やはり「私達もサルタに行きたいのよね」と言ってるおばさん達が。
何か解決策があるかも、と思ってその会話の中に参加していると、しばらくして別の女性が呼びに来た。
「あなたも一緒に来なさい」と連れられてみると、一台の自家用車が。
「彼女達が仕事が終わって帰宅するんで、乗せてもらうのよ」ということらしい。思いがけず、ヒッチハイクさせてもらうことに。

フフイを出て、一時間くらい走った頃だろうか、車が検問で止められた。
外国旅行で検問というのも特に珍しいことではないので、いつものようにパスポートを渡して顔を検査官に向けた。
と、そこでなぜか車降りるように指示され、降りると首の後ろをつかまれ(といっても、掴んできた検査官が背が低かったので、ぶら下がるような形になったが)、検査官の車のところまで連れて行かれる。
その後数分の彼らのやりとりから推察すると、どうやらボリビアからの密入国者と思ったらしい。
が、最初は「捕まえた!」とばかりに得意気にトランシーバーで連絡を取り合って威圧的な態度をとっていた彼らであったが、こちらの説明がしっかりしており、ちゃんと入国手続きをした国境事務所の写真をデジカメで見せたので、だんだんとトーンダウンしてきた。
こちらも最初は事情がよくわからずとりあえず検査官のたどたどしい英語に対応していたが、その内に事情が呑み込めてきたので、ガンガン強気にスペイン語で攻めてやった。
そもそも、公用パスポートを所持してしっかり提示しているのだから、こちらは何も悪びれる必要もない。加えて、一日の疲れも手伝ってかなり強気に怒鳴っていたら向こうも流石に冤罪に気づいたらしく、こちらをなだめに入ってきた。
こうなると、交渉はこっちのペースである。食い物、飲み物を要求して、りんご2個をもらった。
しかも、滅多にできない経験である、これは写真をとっておかねばっ! 普通ならこういう人を撮影しようとすると怒られるのだが、今回はしっかり撮ってやった。
後は下らない話をしつつ、道路沿いの屋外で待つこと約40分、今度は迎えにきたライトバンに乗せられ、フフイの検査官の事務所へ。
相手は最初は「車中で寝るな」と言っていたが、こっちは車中でも強気に出て、寝ることも許可させてやった。
で、目を覚ますと事務所である。
折の中には確かに、密入国者が何人かいる。
フフイからウマワカ渓谷を抜け、さらに北上するとボリビア国境に着く。つまり、ボリビアから入国してきた彼らを捕まえるための検問だったらしい。
で、ここでも一通り型通りの取調べが行われたが、こちらはあくまで強気。飲み物と食べ物を要求して、チョコビスケットと水をゲット。
放免、となったのは午前2時。
しかし、奴等としては早朝までバスを待って勝手に帰れ、というスタンス。
まぁ、普通、そーだわな、とは思ったものの、「勝手に連れてきておいて、どーゆーことだっ!!、サルタまで送れ!」と再度強気に出て、車で送らせることに。しかし、まさかこんなにうまくいくとは、自分でも驚いた。
車はとりあえずフフイのバスターミナルへ。
どうやら、検査官の帰宅途中にここまで送ってくれたようだ。何時からの勤務か知らんが、午前3時に帰宅する仕事ってのもタイヘンだな。
が、ここで「サンキュー」と言ったりはしないのである。そうすると日本人が海外でナメられるから。
で、「おい、サルタの町に入る直前(←ホントはまだあと1時間くらいある場所だったけど、ハッタリをかました)でここまで連れてこられたんだから、サルタまで送れ!」とゴネてやった。
すると、バスターミナルの守衛の詰め所に連れて行かれ、「始発のバスにキミを乗せてもらえるように彼(守衛)に話をしておいたから、もう、帰らせてくれ」とのこと。
まぁ、どうせ深夜にサルタに着いたところで、宿の玄関は閉まっていて入れないし、始発まで守衛所で休めるなら万々歳である。
最後に彼の前に立ちふさがり「あくまでお前の車でサルタまで送れ!」「勤務時間は終わった。もう帰らせてくれ(サルタまで往復すると4時間はかかる)」というやりとりを15分くらいやって、”日本人を冤罪に巻き込むと高くつく”というコトをしっかり覚えこませて開放してやった。
始発までは、若い守衛の兄ちゃんにマテ茶を飲ませてもらい、スペイン語でいろいろと世間話。
どうやら守衛の労働時間は長く、賃金は安いようで。まぁ、しかし、さしてやるコトも少なそうだけど。
4月11日(日)〜 サルタを出れない!? いやいや、パラグアイへ 〜
始発のバスで宿に帰って、さて、東に向かうバスの手配をせねば。
今回の旅行の目的の一つが、元・海外ボランティア専門家の方の家にお邪魔するというものである。その方の家がコリエンテスにあるのだ。
コリエンテス、イグアスの滝、シウダー・デル・エステ(パラグアイ)の水力発電所、この3箇所をこれから周って、旅が終わるわけである。
まずはここから8時間の場所にあるコリエンテス行きのバスを探す!...が、さすがは日曜日。長距離バスは全部満席。
よし、では、飛行機だ! イグアスには飛行機が多く飛んでるみたいだから、サルタからでも便があるはず!
しかし、これまた日曜ゆえに町中の航空会社オフィスは休み。仕方ない、郊外の空港へ乗り込むぞ!
とりあえず、宿をチェックアウトし、荷物を全部かかえてバスに乗り空港へ。
がっ! 空港は電気も消え、店も全部閉まり、ゲートの守衛すら居ない...
かろうじてアルゼンチン航空のカウンターに職員が3名いたので、話をしてみると、どうやら飛行機は午後1時あたりに一本しかないらしい。
今はまだ午前9時。このまま午後1時まで待つ...? というのも時間が勿体ない...再度、町へ戻る。
あー、今日はこのままサルタ泊かなぁ〜、まぁ、昨日の夜は貴重な体験ができたし良しとするかぁ〜、と諦め、同じ宿に再度チェックインして、サルタの町を観光。しかし、徹夜明けで頭がうまく回らないせいか、観光の段取りを誤り、美術館や博物館を見逃す(日曜なので午後は閉館)体たらくである。
あらかた見終わったところで、明日のバスでも探すかな〜、とバスターミナルへ来てみると、これまで見落としていた「パラグアイ行き夜行」のバスのカウンター(La Nueva Estrella)を見つける。
でもまぁ、これも満席だろーな。アルゼンチンの夜行バスは人気あるもんなぁ、と思いつつ聞いてみると...「空席、あるわよ」。
出発が16:15、今が3時、OKだ!
すぐに宿に戻り、事情を話す。「一応、チェックインはしたから、今日の一泊分は払うよ」というと、「別にベッドを使ったわけじゃないから、要らない」と看板娘からありがたい返事をもらい、チェックアウト。
いざ、パラグアイへ。
4月12日(月)〜 パラグアイ横断 〜
朝、起きました。バスの中です。えーっと、今は6時。ということは、もう到着かな?
と、思いきや、まだここはフォルモサ。パラグアイまではあと2時間はかかる...あ、遅れてんのね、このバス...ってことは、今日中に発電所を見るのは無理か。
で、到着した町はクロリンダ。
あれ? アスンシオン(パラグアイの首都)じゃないの?
ん〜、チケットをよく見ると、確かにクロリンダという名前が書いてあるな。
つまり、このバスは国境を越えるバスではなく、国境に近い町まで行く、というワケか。
ここから国境まではタクシーかバイクタクシーしか無さそう。
バイクタクシーに「10ペソで、アスンシオンのバスターミナルまで行け(パラ テルミナール デ アウトブス エン アスンシオン)」という交渉をして乗ったが、5分程走った国境事務所で「ここで金をくれ、アスンシオン行きのバスはそこにいる(テルミナール デ アウトブス パラ アスンシオン)」と言う。
「5分程度の走行で10ペソは高い」と思わないでもなかったが、どうも相場はそんなものらしく、バスもすぐそこにいるワケで、払ってやることにした。
さて、パラグアイ入国は超お手軽である。
アルゼンチンの出国オフィスと、パラグアイの入国オフィスは同じ建物。背中合わせである。
しかも、両替屋が入国ゲートの周辺を多数うろついており、しかも、レートはちゃんと入国ゲートで提示されているもので換金してくれる。
換金も終わり、バスに乗ってアスンシオン市内へ。
と、バスに乗って判ったのだが、あのバイクタクシーに「10ペソで市内まで」というのは無理な話だった。
国境ゲートから市内まで、30分くらいかかるのである。
で、「バスの終点=バスターミナル」という思い込みを持ったまま乗っていたら、バスターミナルで降り損ねた...。
仕方なく、別のバスで少し戻り、ターミナルで初めに目に付いたバス会社のカウンターで「シウダー・デル・エステ」までの直行バスチケットを購入。13:00発ということは、あと20分か...乗り場へ急がねば。
さすがは一国の首都のメインバスターミナルである。結構広い。乗り場も数多く、迷う人もいそうだ。
何人か人に場所を聞きつつ、10分前に着く。
まだバスは到着していないようなので、5時間乗車の長丁場に備えるため再度建物の中に入り、昼食のエンパナーダを購入。
このエンパナーダ、ファーストフードのように食べられるので、旅行には便利だ。
さて、時間になってバスが...来ない。
他に待ってる人に聞いても、12:30発のバスすら来てないらしい。
結局、1時間遅れてバスは出発。まぁ、途上国だし、こんなものなんかなぁ。
バスは、平原の真ん中の幹線道路を走りぬけ、途中1回トイレ休憩&給油をしただけで、シウダー・デル・エステに到着。
ちなみに、シウダーはシティ、エステは東の意味なので、要するに「東の町」という意味の町である。
さて、この町、貧乏旅行者には困ったことに、バスターミナルと市街が離れているくせに、その間を結ぶバスが無い。
いや、厳密にはある。あるのだが、ターミナルからそのバス停までが少し歩くのだ。これって、スペイン語ができない旅行者だと辛いな。まぁ、ターミナルの玄関にタクシーはいっぱい停まってるけど。
辺りもとっぷり暗くなり、宿は「歩き方」では一番安いSan Rafaelへ。
フロントでイタイプー・ダムの発電所に行きたい、というと、ツアーは朝の8:00しかやっていないとのこと。やはり今日中に発電所見学するのは無理だったか。
晩飯はフロントできいたパラグアイ料理のレストランが閉店だったので、仕方なく開いてる中華料理店へ。
漢字のメニューで料理を頼んだ後、ビールを見てみるとUS$1。で、ビールを頼んでみると、なんと1.5gほどの巨大なビンで出てきた!
腹がパンパンになってしまったが、まだ休むわけにはいかない。明日の朝のバス停を事前確認せねば。
「歩き方」の地図を頼りに10分ほど歩き、近辺にいる人に「パラ ヘルマンダリアス?」と聞いて確認終了。その後、ようやくホテルへ戻り、久々の個室なので、洗濯をする。
しかし、この国は南米でも北のほうにあるので、暑い。そのためか、シャワーは水だった。
4月13日(火)〜 パラグアイからアルゼンチンへの入国は面倒! なんとか、イグアスの滝へ 〜
朝7時、自分の目覚ましで起きた。昨日フロントで(英語が通じる)同じ時間にモーニングコールを頼んだはずなのに来ない。
まぁ、ラテンの国だからいい加減なんかなぁ?
昨日のうちに確認しておいたバス停からヘルマンダリアス行きバスで約20分、イタイプー・ダムのビジター・センターに着く。
「見学ツアーは8時から」と思いつつ職員にたずねると、あと1時間後という。と、ここで、あることに気づいた。
なんか、1時間ずれてる...。
そう、パラグアイは、アルゼンチンより「1時間遅い」国なのである! 場所は離れているのに、チリと同じ時間帯なのだ。
「国境越えたんだから、時差をチェックするのは当たり前」と思うかもしれないが、パラグアイの東西の幅は、アルゼンチンの東西の幅に収まる大きさの国である。まさか時差があろうとは!? (実際、シウダー・デル・エステの方がアルゼンチンのサルタよりもかなり東にある。しかし、パラグアイの時間はチリと同じ。)
どうりで、バスがきっちり1時間遅れたり、モーニングコールが来なかったワケね(というか、遅れてはいない。こっちの時計が早かっただけ)。
そんな大ボケをかましはしたものの、1時間余ったんなら、近所にある動物園に行こう。
「歩き方」によると、このダムを建設するときに非難させた動物を保護している、とのこと。7:30開園らしいので、開園と同時に入って、15分くらい見ればいいかなぁ。
で、職員の人に方向を聞いて歩いてみると...あれ? まだ着かない...意外に遠い?...15分歩いても着かない。
ということは、戻りにかかる時間から逆算すると、開園と同時に入っても、10分も見れない...歩いた分、疲れただけだった...
事務所でパスポートを預けて見学の申込。8:00になり、見学ツアー開始! といっても、参加者は3名。後の二人は、どこかの発電所建設を検討しているお役人らしい。
観光バスに3人だけのお客さんで、発電所内を周る。
見晴らしの良い展望台からダムを上から眺め、新しい発電機を製作している建物内を見学。メーカで作らずに発電所内で作ってるのにちょっと驚き。
ダムの下に作られた道路で、ダムを横切り、今度はダムの上の道路でダム湖を見つつ戻って、見学は終了。
道端で通りがかるバスを20分待って、国境付近へ戻る。
さて、国境ゲート付近で出国手続きを済ませたものの、道路はものすごい混雑。排ガスと騒音と砂ぼこりが立ち込める。
シウダーデルエステのバスターミナルから、ブラジルを通り抜けてプエルトイグアスまで行くバスがある筈。そのバスは国境のゲートを通る筈...とは思うのだが、なかなか来ない。
とりあえず、ブラジルに入国するであろうバスはあるのだが、それには乗れない。なぜなら、ブラジルのビザを取ってないからっ!
行き先を告げて、バス乗り場を教えてもらったものの、なかなかバスも来ない。あまりモタモタしていると滝観光の時間がドンドン減っていくので、結局は”支払いはアルゼンチンペソでOK”ということでバイクタクシー。
125ccくらいのバイクの後部座席(?)にバックパックを背負って乗ると、サスペンションはフルボトムのまま。デコボコはもろにケツに来る〜っ!
フルフェイスのメットを被っていたせいか、ブラジル入国でも止められることなくスルー。
20分ほどブラジル国内を走りぬけ、アルゼンチン国境へ。
一通りの入国手続きを済ませ、再度バイクに乗り、プエルトイグアスのバスターミナルへ。
到着して、ターミナル内で荷物を預け(有料)ると、売店のおばさんが、大声で呼ぶので行って見ると、ちょうど滝行きのバスが出るところ。
これを逃すと、また30分ロスするところだった。 おばさん、ムーチャスグラシアス。
イグアスの滝は、ちょっと遊園地っぽい入り口で、中も博物館あり、みやげもの屋あり、売店ありで、高い入場料ナリの作り。
博物館を見学し、園内の鉄道にのり、いよいよ滝へ。
広〜い園内を地図を頼りに歩き回り、まずは渡し舟でサンマルティン島へ。
浜辺では”遊泳禁止”ではあるが、”水着で浸かる”のはOKのよう。ヤバイかなぁ〜と思いつつ、水も飲んでしまった(でも、問題なかった)。
今度は、滝に突っ込むボートに乗る。滝に突っ込むので、もうびしょびしょ(あらかじめナイロン袋を貸してくれるし、貴重品は岸に置いて行ける)。
とまぁ、すっかりサンマルティン島あたりを満喫してたら、鉄道が終電。悪魔の喉笛の近くまでは行けなくなってしまった...終電時間くらい、大々的に貼っとけよぉ〜っ!!!
とにかく、イグアスの滝を満喫して、バスターミナルへ戻ると、ブラジル側から日帰りでアルゼンチン側の滝を見に来た日本人旅行者と会う。
レシステンシア行きのバスまで1時間くらいあったので、二人でイグアス名物”ナマズ”料理を食べに行く。
ナマズは白身で、身も柔らかく結構食べやすかったが、いかんせんナマズ。結構デカかった(30cmくらいある)。
ちなみに、彼はブラジル通貨のレアルで支払い、タクシーでブラジルへ戻っていった。
4月14日(水)〜 元・専門家の方の家で、休息&アルゼンチンステーキ! 〜
朝6:30、夜行バスで目が覚めると、コリエンテスを通り過ぎていた。
レシステンシアに着き、今日ご厄介になる元・JICA専門家の方に電話。
市バスでコリエンテスに戻り、7:30にバスターミナルで、無事、ピックアップしてもらう。
家に連れて行ってもらい、朝食を戴き、洗濯機で洗濯させてもらって市街で優雅にお茶。
JICAの専門家を何回か経験された後、アルゼンチンに家族で移住されたそうで、その経緯をしっかりとうかがった。
アルゼンチンに移住するには、現地で雇用を創出する仕事をする必要があるらしい。 うん、参考にしよう。
お昼は、アルゼンチンステーキ。
パラナ川(乗り越したレシステンシアはこの川の対岸)に面したステーキハウスで、奥さんと3人で食事。
よく食べる部位の肉以外にも、本格的な腸詰や、内臓など普段食べないものがい〜っぱい。 いやぁ、うまかったッス(ちなみに、凄い油です)。
午後は、市街をブラついたものの、基本的には客間のベッドでごろごろ。
夕方にはバスターミナルに送ってもらい、せっかく本数の多いブエノスアイレス行きバスなので、奮発して最高級グレードを! と思ったが、時間が合わず、一段下のグレードに。
最高級ではないとはいうものの、フットレスト付きのかなり倒せるリクライニングシート。 ワインまで飲み放題。 食事も...まぁ、安いグレードよりはマシ。
4月15日(木)〜 アルゼンチン 出国 〜
バスは特に遅れる事もなく、ブエノスアイレスへ到着。
いやぁ〜、都会です。 チリのサンチアゴは、ヨーロッパ風の建築が多い街であったのに、ここは、近代的な建物が多い。
で、「歩き方」の地図を頼りにスブテ(地下鉄)のエスタシオン(駅)を探す。
交通量の激しい中、多少迷いはしたものの、なんとか”レティーロ”駅に到着。
「歩き方」に載ってる安宿で、「一泊分のお金を払うから、今夜の飛行機の時間まで荷物だけを置かせて欲しい」と交渉したところ、タダでOKというありがたいお返事。
地下の一室に荷物を置いて...おや? この隣は、シャワー室ではないか!? ということで、ついでに、シャワーも浴びる。
さっぱりしたところで、市内バスを駆使して観光へ。
博物館・美術館をメインにあちこち回り、大したトラブルもなく、無事空港へ。
アルゼンチンペソも殆ど全部遣いきり、さようなら、南米大陸〜、また、来るからなぁ〜。

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